生放送「清少納言の美意識~ 「あけぼの」に込めた思い」

次回の放送は令和8年3月22日 10:00からです

番組の趣旨

「春はあけぼの。やうやう白くなり行く、山ぎは少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」

「春は、朝が明けはじめるころ。だんだんと白んでいく山の稜線が少し明るくなってきて、紫がかった雲が細くたなびいている景色がよい」と語る、あまりに有名な『枕草子』の冒頭部分です。

霞がかったように曖昧で、やわらかい曙色の空を見ると、春の暖かな風がふわりと吹くような気がします。しかし、「あけぼの」を春の景色としたのは、清少納言が初めてでした。

『日本書記』には「会明(あけぼの)」という記載が数箇所ありますから、言葉としては使われていたようですが『万葉集』や『古今集』などでは、同じ意味である「あさぼらけ」の用例はあるもの、「あけぼの」の用例はありません。季節を詠み込む和歌の中で、梅、鶯、霞などの春を想起させる言葉として使われていなかったことがわかります。

平安時代になって『蜻蛉日記』に「あけぼのをみれば、霧か雲かとみゆる物たちわたりて、あはれに心すごし」という一文が見られ、「あけぼの」が和歌の題材となり得る「もののあはれ」と結びついたことがうかがえますが、文章の中で使われるのはこの箇所だけで、春を表す言葉にはなっていません。

「春はあけぼの」の鮮烈な印象によって、私たちは当たり前のように「春を代表する言葉」だと思いがちですが、実は清少納言が使った当時は、あまり使われていなかった言葉なのです。だからこそ、春の景色として「あけぼの」を選んだ清少納言の美意識は、とても新鮮な感覚として、当時の人たちに驚きと共に受け止められたのでしょう。

それに大いに影響を受けたのが、紫式部でした。『源氏物語』の中には「あけぼの」という言葉が14例あり、そのうちの3例が「春のあけぼの」なのです。「薄雲の帖」で、斎宮女御(後の秋好中宮)に源氏が「春と秋、どちらがお好みか」と問います。女御は秋を選びますが、源氏は紫の上に対し、「女御の、秋に心を寄せたまへりしもあはれに、君の、春のあけぼのに心しめたまへることわりにこそあれ」と語りかけ、紫の上が春のあけぼのを気に入っているのもよくわかる、と春秋論争をする場面があります。女御の好むのは「秋」とシンプルに言っているのですから、紫の上が好むのも「春」でもよさそうなのですが、わざわざ、「春のあけぼの」と言っていることから、清少納言の「春はあけぼの」を意識していたであろうことが窺えます。

そして、『源氏物語』の流行によって、「あけぼの」の言葉は、「春を象徴する言葉」として定着してゆくのです。清少納言と紫式部は同時代の人ですが、ほとんど面識はなかったと考えられています。

『紫式部日記』の中では、「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人…で始まり、かなり辛辣に批判しています。紫式部は、きっと負けず嫌いな人だったのでしょう。表向きにはどうしても認められないが、同じように漢籍の知識もある紫式部は、誰よりも清少納言の功績を評価していたのではないでしょうか。だからこそ、自分が衝撃を受けた「あけぼの」という言葉を『源氏物語』の中で何度も使い、主要人物たちに語らせたのでしょう。『枕草子』の中で1回しか使われていなかった「あけぼの」を美しい日本の言葉として生まれかわらせるきっかけを作ったのは、間違いなく紫式部と言ってよいと思います。

そこで今回のシリーズでは『紫式部と清少納言~美しい日本の言葉』をテーマに、紫式部と清少納言を比較しながら、紫式部が紡いだ清少納言の美意識・美しい日本の言葉などについて、視聴者の皆さまと考えて参りたいと思います。

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